「街道を行く」

                              ※連載紀行・第七六九回
       司馬遼太郎著   週刊朝日/1987年4月17日号
        


 夕食を料亭「洲さき」でとるべく町並みを歩いた。
 宮川にかかる中橋を東にわたれば柳の枝かげの向こうにあるのだが、私どもは、ゆたかな辻々の闇にふれたいために上三之町を南にゆき、その前に出た。
 寛政時代からの店ときいたが、土間のぐあいといい、座敷といい、さすがに匠の国の作品らしく気品にみちている。
 二階の座敷は、わざと簡素におさえられた欄間といい、 床ノ間のタテ・ヨコの柱と桁の階調といい、江戸期の大工の幾何学的な趣味がよく出ていて、しかも決して過剰ではない。すわっていて美しさ以上に、哲学をさえ感じさせるかのようであった。
 膳は、この地の春慶塗である。運んでくる二人の婦人の物腰や物言いが、なんともいえず上品だった。
 これらのすぐれた文化は、天領だったから生まれたのか。
でもないかもしれない。天領なら、大阪の河内も天領だったし、東京の三多摩もそうだった。やはり、金森文化の遺風として理解したほうがいいのではないか。
 たれか、金森氏四人と幕領時代がのこした飛騨美学というものを、単なる文献主義をこえる感受性をもって研究してくれる天才的な人が出てくれないものだろうか。明治期の松江を小泉八雲が書いたようにである。


                この文章は、飛騨紀行十○より抜粋・引用いたしました。     
    光と影が織りなす空間で
    思う存分にくつろぎを。

何よりも居心地のよさを大切にすること。それが、飛騨のおもてなしの心といえるでしょう。夏は簾仕立ての引き戸からの川風を楽しみ、冬は障子に映る雪明りを愛でる。そうした茶人の心もまた、お楽しみいただきたいのです。座敷に居ながらにして、月明かりも、雨音も、宮川の瀬音も、森羅万象のすべてを感じることができる。この浮世離れした空間こそ「宗和好み」の佇まいなのです。自然の営みとともに暮らしてきた、高山ならではの時の過ごし方は、季節ごとに、また時間の流れるままに多彩な表情をお見せすることでしょう。




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